レビューコンテストで受賞した作品は、その後、主催者によって中国の最大コミュニティであるBaiduのレビューコンテストにも出品されていました。
その場所で優秀作品を受賞したと連絡を貰った時、私は実に不思議な気分になりました。
なぜなら、自分の知らないところで作品が一人歩きしていると思ったからです。
日本にいる私の作品は、海を渡って行ったこともない場所で多くの人に読まれている。
そう思った時、文章の持つ影響力、文字の持つ影響力は計り知れないと思いました。
これが私の「文章を書く」という行為の原点です。
今まで表現者として「歌」の世界で生きてきた私は、自分が歌うことによって、リアルにその場にいる人に影響を与えた経験はあっても、自分のいない場所で多くの人が自分の表現によって影響を受けているという経験はしたことがありませんでした。
ですから、私の書いたものが、自分の知らないところで多くの人に読まれている、影響を与えているという事象が不思議であり、現実感として迫ってこなかったのです。
しかし、そのサイトに私の日本文の作品が掲載され、翻訳され、さらにコメント欄に多くのコメントが上がっているのを見た時、それは現実感を伴って私に迫ってきました。
そして、文字の持つ影響力の大きさに身が引き締まる思いがしたのを覚えています。
喜びの感覚よりも、責任の大きさの感覚の方が大きかったです。
この時の原体験がその後、10年経った今でも私の中に残っています。
それは、「文字を書く」「文章を書く」という行為が歌の様にその場で消えていく行為ではなく、何時間も何年も何十年も残っていく行為であるからかもしれません。
その影響力は大きな破壊力の様に思えた感覚が、「書く」ことの責任の原体験と言えます。
そうやって、私は、自分が望む、望まざるに関わらず、「文章を書く」世界に足を踏み入れたのでした。
ほんの軽い気持ちで好きな歌手についての徒然を書いていた生活は一変し、多くの読者を抱えるファンブログへと変わって行きました。
7年に渡るファンブログでの経験は、ネットの百貨店と言われるぐらい、様々なことを経験しました。
今、SNS上で問題になっている誹謗中傷の類は最初から経験しましたし、現在もないと言えば嘘になります。
それでも書き続けているのは、この時の原体験が強烈に私の中に残っているからです。
そのファンブログを辞めることにしたのは、今から2年前のことでした。
- 投稿タグ
- アラカン, 人生はいつからでも華開く, 松島耒仁子