大阪文学学校には2年通い、さらに2年在籍しました。

この学校時代に、私は、「文章を書く人間としての覚悟」を叩き込まれたような気がします。

 

学校ですから、きちんと入学式も修了式もあります。

各クラスに担任(チューター)がいて、年間4作品を各自が提出し、クラス全員で批評し合う、という文学学校独特のカリキュラムである合評会という仕組みを使って授業が行われていました。

私が最初に入ったクラスは、夜のクラス。

20代、30代が中心の20人ほどのクラスでした。

ところが、私を除くほぼ全員が、小説を高校生の頃から書いていたという人ばかり。

プロの作家を目指して切磋琢磨するという雰囲気でした。

 

文校(文学学校のことを生徒は皆、こう呼びます)に入る前、体験授業を昼と夜のクラスでそれぞれ受けたのですが、昼は高年齢の主婦が多く、のんびりしていて、書くことの基礎を学ぶようなクラスでした。小説を書くなら、断然、夜のクラスの方がいい、と素人目で思ったのです。

これが間違いでした。

 

 

レベルが高すぎてついていけない。

 

例えば、合評と言って、クラスメイトの出した作品を1週間読み込んできて、授業の時に、批評を1人ずつ言うのですが、これが自信がなくてなかなか自分の思った通りのことが言えませんでした。

発表したことがもし、間違いだったらどうしよう。私が思うような意見が誰もいなかったらどうしよう。

今でこそ、「自分は自分」「自分の思う通りに、自信を持って意見を言えばいい」

「自分軸をしっかり持って」と偉そうにメルマガに書いたりしていますが、この頃はとんでもない。

自分だけが違う意見なのが怖くて、いつもクラスメイトの意見をいくつも聞いてからでないと、自分の意見が言えない、そういう私でした。

自分に全然自信がなかったのです。

雑談の中にも、小説の題名がよく出てきて、作家の名前も頻出します。

ところが私は小説を書こうと思っているのに、マトモな小説は読んでいませんでした。

小説を読むなら、推理小説やエンタメ系。

娯楽小説しか読んでいなかったのです。

音楽で疲れた脳にはそういうものが気分転換に良かったからです。

でもクラスメイトは違います。

皆、純文学の小説をたくさん読んでいて、音楽で言えばクラシック系。

JPOPのようなポップス系は、お呼びでない、という感じでした。

 

作家の名前が出ても、知らない人ばかり。

作品名を言われても読んでないものばかり。

私が音楽しかしてこなかった時間を、その人達は文学に費やしていたのですから、「小説を書く」という基礎体力が全然違いました。

 

さらに書く作品のレベルの違いに愕然としました。

多くの人の作品を読めば読むほど、出版されている作品とどう違うの?と思うぐらいレベルが高かったのです。

 

「ついていけなーい」

 

そう思いました。

 

 

半年、夜のクラスにいて、基礎から教えてもらえる昼のクラスに変わりました。昼のクラスなら、私でもついていけると思ったのです。

 

これが大きな間違いでした。

 

ここで私は徹底的に絞られたのです。