東京でミュージック・ペンクラブの理事会に出席してきました。

7月に続いて、たったの二度目だというのに、もう旧知からのメンバーのように扱って下さる方々に本当に有り難く思っています。

自分の環境が変わるというのは、こういうことをいうのかと思うほど、この数ヶ月で私の人間関係は全く変わってしまいました。

メンバーの多くが何がしかのメディア関係に所属、または著作物、出演、さらには番組制作などに携わっている人たちばかりで、そうでなければ、大学教授、放送関係者、新聞社に所属など、日本の音楽界のジャーナリストの宝庫ともいうべき存在の人達ばかりです。

そんな中に入って、意見を求められる。

今後の音楽界にジャーナリストとしてどのように関わって行くか、という方向性を求められる。さらには理事として直接ペンクラブの運営に関する意見を求められる。

そういう人達に共通のあり方は、非常に冷静で謙虚であり、全く自分の地位や功績をひけらかさない。

私のように何も持たないものにも、同じように意見を求めて下さる、ということを経験して、全く人生のステージが違う場所にいる人達のものの考え方というものを勉強させて頂いています。

 

特にポピュラー部会には、鈴木道子さんと言って、現代の音楽ジャーナリズムの先駆者である方がいらっしゃって、89歳になられるのに、普通に会議に参加され、普通に会話をされ、アイデアや意見を出される。

一番驚いたのは、この2月に2週間、お一人でモロッコに行ってこられたということ。なぜ、モロッコかと言えば、イヴ・サンローランの美術館がそこにあるから、と仰って、「もう少し帰国が遅ければ、2週間の自宅待機になったのよ」と笑ってらっしゃいました。

歌もピアノもされ、2年前まではペンクラブの会長をされていました。

鈴木道子と言えば、現在の音楽界の現場で働く40代以上はほぼ知らない人はいないというぐらい、彼女が書いたものを読み、彼女の文化放送やFM放送の番組を聞いて育った世代であり、音楽の仕事をする人なら誰でも知っているということ。さらに終戦当時の首相鈴木貫太郎の孫娘であるということでも有名な方です。

その人と私は、ペアを組んで、広報、宣伝などの理事の仕事をすることになりました。

こんな何も知らないペーぺーの私に、ジャーナリストとしての心の持ち方から教えて下さって、彼女のさりげなく語る一言、一言が重いです。

 

そんな歴史的人物(当然、Wikipediaにも載っています)と一緒に自分が仕事をするようになる、いえいえ、お茶を誘われてご一緒する。

そんな日常生活はペンクラブの所属が決まった時、想像もしていませんでした。

単にライターとしての所属を認められたという、それだけでも私にとっては大きな変化であり、ライターとして認められたこと、そして大きな後ろ盾が出来たということに人生の変化を感じていたに過ぎませんでした。

でも、環境が変わるということは、情報が変わり、人間関係そのものが変わるのです。

人間関係が変わるということは、人生に大きな変化をもたらすのだということを、今、あらためて感じています。

ペンクラブに入らなければ、決して巡り合わなかった人達だからです。

 

そういう人達の中で、理事として役目を果たして行く為には、自分のブランディングというものをしっかりと構築していかなければならないのだということをあらためて感じた三日間でした。

 

たった一通のメールと一本の電話が全ての始まりだったのです。

ほんの少しの勇気と行動力さえあれば、誰でもが自分の人生を変えるチャンスはある。

 

そう感じています。