大阪文学学校の昼のクラスに転籍した私は、夜のクラスに比べて年齢層も高め、ゆったりした雰囲気の中で、1人、プロの作家になるんだと意気込んでいました。

昼のクラスのチューター(指導教官S女史)は女性で、クラスの授業の他に月に一度、単発で開催される「文章講座」の講師を務めていました。

S女史は文校一、パワフルな教官で、土曜日の午後に開かれる講座は5時間ノンストップ。

女史は立ちっぱなしで、50人以上が提出した短編をバッサバッサと切り崩していきます。

指摘が無駄がなく、的確で、それでいて文章講座ですから、文章を組み立てるのに必要な技術、また考え方をきちんと説明してくれる為、素人の私のようなものでも非常にわかりやすい内容なのです。

 

実は、夜クラスにいるとき、彼女の単発講座を受講し、この人に基礎から習わないとダメだ、と思いました。自分の作品の批評をして貰いたいと直談判のメールを送ったら、「私は自分のクラスの生徒しか見ません」と断られてしまいました。

それで学年途中で、彼女のクラスに転籍したのです。(普通、本科生の途中でクラスを変わることは先ずありません)

 

私が最初から「作家になりたい」と言ったために、「プロを目指す人には容赦しません」と彼女は言って、クラスの授業でも私の作品には容赦がありませんでした。

妥協が一切なかったです。

作品を書く、という部分だけでなく、批評をするという部分でも、曖昧な指摘や批評は、徹底的に突っ込んで理由を聞かれ、なぜ、そう思うのか、ではどうすれば作品は良くなるのか、という自分の意見をきちんと表現することを厳しく求められました。

 

よく言われたのは、

「はい、松島は今日は泣いて帰るよね」

「はい、松島は今日は徹底的にやられる」

 

どれも彼女の愛情たっぷりの言葉ですが、それを聞くたびに、「あー、ダメだ」と思って、クラスの人の批評を聞いていました。

クラスの人が私の作品を褒めると、

「え、ホントにそう思うの?

え、ホント?

甘やかしたらダメだよ」

とよく言われました(笑)

 

 

その頃の私の作品は、どこかぼやーっとしていて、描写が非常に曖昧でした。

雰囲気だけは良いのですが、何を書きたいのか、何を伝えたいのか、それがハッキリしないのです。

描写も文章も稚拙で、今から思えば、よく「作家を目指します」などと宣言できたものだと思うのです。

 

これは私が音楽をしてきたから、と指摘されました。

 

音楽は「音、表情、仕草」など三次元で表現するものです。

これに対し、文学は「文字、文章」という二次元のものでした。

 

つまり音楽の表現は立体的ですが、文学の表現は平面的なのです。

「言葉」と「文字」しかない文学の世界では、その二つのツールを使って、立体的世界を表現しなければならず、そこに徹底的な描写を求められるのです。

長年、音楽の世界で表現することしか身につけて来なかった私は、なんでも雰囲気で処理、描写する癖があり、言葉というツールを使って、細かくその世界を描写するということが出来なかったのです。

 

「松島の書く文章は、雰囲気なんだよ!!

音楽じゃないんだから、それじゃあ、何も伝わらないよ!!」

 

そう女史から言われては、徹底的に原稿を書き直させられる毎日でした。