先日書いた記事で、私が如何に自分で何も決められない、決断力のない人間だったかということをお話しましたが、今日はもう一つ、如何に行動できない人間だったか、という話をしようと思います。
今でも忘れられないエピソードで、あんパンの話と共によく話すエピソードなのですが、私が音大を卒業後、ボーカルグループに所属してあちこちで歌っていた頃の話です。
今でもお店があるのですが「なんばシティー」の地下にラルフローレンの専門店がありました。
そこでサーモンピンクのTシャツを見つけたのです。
ロゴのワンポイントはライトグリーン。
サーモンピンクとライトグリーンのコンビネーションがマッチしていて、私の感性にドツボだったのです。
だったら即買いすればいいじゃないかという話。
でもその頃の私は一度では決断できません。
家に帰ってからよく考えてみよう。
そう思って帰ります。
価格帯はその頃のTシャツの一般的な価格よりかなりお高い設定です。
そんなこともあって決められないのです。
「買おうか」いや「やっぱり諦めようか」
そんなことを延々と一晩悩み続け、やっぱり贅沢だから辞めよう、と思うのです。
でも翌日、やっぱり気になって仕方がありません。
欲しいのなら早く行って買わなければ、誰かに買われてしまうかもしれません。
そんなことはわかっているのに、決められないのです。
一日、悶々と自分のお財布と照らし合わせながら考え、夕方、やっと重い腰をあげて、やっぱり買いに行こうと思い、準備をして出かけようとします。化粧もして着替えもして、何もかも準備をしてもまだ最終的に決断できません。一旦玄関まで行き、やっぱり辞めようかな、と思います。
そんなことを延々繰り返して、いよいよ、夜になって、やっぱり出かけようと思い、電車に乗って出かけるのです。その時は、「もう一度、よく見て、それから考えよう」です。
たった一枚のTシャツに何時間、何日、かけるのでしょう。
今の私なら、即買いです。
でもその頃の私は延々、お金のことやら、なんやら考えているのです。
結局、私はそのTシャツをどうしたでしょうか?
そう、やっぱり欲しくて買いました。
最初にピンと着たものを延々無視して考えに考えた挙句、やっぱり諦められずに買ったのです。
その後、そのTシャツは私の大のお気に入りになり、長い間、愛用アイテムになりました。
そして、贅沢だと思いながらも購入したお金は、そうやって購入しても何も困らなかったのです。
私にはこういう経験がいくつもあります。
購入したものもあったり、諦めたものもあったりです。
でも諦めた物の場合は、やっぱり購入すれば良かったと思う後悔の方が圧倒的に多いですね。
そして少し高いと思っても購入した方が気持ちは豊かになり、その後、それを購入したからといって、お金に困った経験はありません。
今は、もちろん、気に入ったものがあれば即買いします。
物との出会いも「ご縁」だと思うからです。
大体はピンと来るから欲しいのであって、自分がそれを購入することで、気分が良くなったり、楽しくなったり、そういうものばかりなので、たとえ、あまり使わなかったとしても後悔がありません。
先日、撮影に使用したTODSのハイヒールなどは、もう10年以上前のもので二度ほどパーティーで使用しただけでしたが、それも購入するときには身分不相応と思えるほど高価なものでしたが、今になって役立つとは思いませんでした。
久しぶりに履いてもどうもなく、多分これから活躍するのだろうと思ったのです。
これもその時、高価でしたが気に入ったものだったので購入しました。でもその後、お金に困窮したという記憶はないのです。
今なら自分が気に入ったものをたとえ、身分不相応なぐらい高価でも迷わず購入すると思います。
なぜなら、そのアイテムが私の気分を良くしてくれると知っているからです。
自分の身の回りには、自分が気に入ったものだけを置いておきたい。少しずつでもそういう環境に整えていきたいと思っています。
でも以前の私は、そういう観点で物を購入できなかったですし、何より、自分で決められず、自分が欲しいと思うものにも母や夫の承認という安心感が欲しいほど、自分の意見に自信が持てない人間だったのです。
そういう自分の弱さと真正面から向き合う作業が、「文章を書く」ということでした。