前の記事にも書いたように、私は本当に飛び抜けて決断力もなく、行動力もない人間でした。
一つのことを本当に決められない。
というか今から思えば、自分の意見に自信が持てないのです。
いつも誰かに承認して貰って安心したい、という自己肯定感が本当に低い人間だったのです。
そのくせ、どうしても譲れないもの。どうしても諦められないものというのは当時からあったように思います。
文学学校にはリアルに2年通いました。
本当に楽しかったです。
いつも「松島は泣いて帰る」と言われながらも、そこにはS女史の愛情を感じました。
文学の「ぶ」の字も知らない向こうみずな人間が「作家になる」とただ意気込みだけで息巻いている。
そんな感じの人間に、文学の初歩から厳しく指導してもらえたと思っています。
2年間の通学と、2年間の休学期間に多くの人と知り合いました。S女史に指導を受けていた兄弟弟子のような人達が多いです。その人達とは今でも交流をしています。
S女史に学んだ1番のことは、「文章を書く」ということの責任の重さです。
言葉を安易に書かない。
言葉の一つ一つの重みを十分に自覚する、ということでした。
文学学校時代、学校に提出する作品は年間4作品。2年で8作品ですが、私はそれ以外に6作書きました。
そのどれもがS女史には厳しく添削されるものばかりで、ある作品は一月間書き直し、また、ある作品は、主人公を入れ替えての書き直しを4度させられたものもあります。
文校時代、私はほとんど夜中、作品を書いていて、気がつけば夜が明けていた、という生活をし始めたのもこの頃からです。
今でもS女史とは交流がありますが、いつも私は文章を書きながら、自分の甘さを恥じています。それぐらい、S女史の文学に対する姿勢には「作家は命を削って作品を生み出す」という根本的なスタンスを強く感じるのです。
そうやって私は作家の勉強を文校でさせて頂いた結果、何が変わったかと言えば、ブログの文章が大きく変わったのでした。
それは今まで、断定的に書けなかった文章の語尾が全て断定的な言葉に変わりました。
断定的に書く、ということは、自分の意見、言葉に責任を持つ、ということです。
曖昧な気持ちでは文章に書いてはいけないということを学びました。
いつも自分の意見を明確に持っていなければならず、またその根拠となる事実には裏付けが必要であり、きちんと説明できるだけの根拠を自分の中に持っていなければならない、ということを学びました。
さらに文章のテクニックを習得したことで、その規則に従って文章を組み立てることが出来るようになったのです。
書いても書いても賞に落選する小説でしたが、ブログの文章の表現力は大きく変わったと思います。
それは結局、自分の書いたものに自信が持てるようになった、自分で自分の文章を点検し、批評できるという客観的な視点を身につけることができたと言うのが大きいと思います。
文校で自分の文章を自分で点検する、添削する、と言うテクニックを鍛えられたおかげで、私はミュージック・ペンクラブに入ってからも、自分の書いたものに責任と自信を持って提出することが出来るのです。
文章表現の基本を鍛えられたおかげで、どこへ行っても、どんな立派なジャーナリストの方に読まれても、内容云々ではなく、その部分では自信を持つことが出来る、と言うのが本当に大きいです。
今回、初めてペンクラブから頂いたお電話でも、「文章のお勉強をきちんとされたんですね」と言われました。
単に趣味で、少し書くのが人より得意だったと言うだけの人間から、文校へ通い、専科を修了することで、どんな場所に行っても恥ずかしくないだけの経歴を付けて頂けたと思っています
これも自分が選んだ道と言うよりは、友人に勧められたおかげで文学学校を知ることになったのです。
そうやって、私は文章を書く、という道に足を本格的に踏み入れていくことになりました。