女性は結婚すると自分というものがなくなってしまうことが多いです。
夫に合わせた生活だったり、子供ができれば子供の生活サイクルに合わせた生活だったり。
そうはならないで、自分の生活パターンを守る人もいますが、なかなかそうは行きません。
そうやっているうちに、自分の為に生きる、という感情が無くなり、夫のため、子供のために毎日を生きていくということになります。
まさに私がそうでした。
私は夫と子供の要求には全面的に対応しようとする人間でした。
特に週末は家族で出かけることが多かったので、それまでに家の雑用は全て終えておく、
週末はなるべく家事をしないで、家族のために時間を空けておく、という風にしていました。
子供達の塾の送り迎えから、深夜の勉強まで。子供が起きている間は寝ないで起きていました。
そうやって何もかもが夫や子供達中心の生活をしていると、
やがて、自分が何をしたいのか、自分がどうしたいのか、
という意思が無くなり、いつも夫や子供の都合やスケジュールに合わせる、
という生活を送るようになります。
そして、それが当たり前で、そのこと自体に何の疑問も持たないようになるのです。
そうやって、私は、「自分」というものをどこかに置いた生活を20年以上も続けることになってしまいました。
唯一、自分を取り戻すのは、ピアノやコーラス、歌を教えている時だけ。
でもそれは、私ではなく、
先生という顔をした私とはどこか別人の私で、
本当の私ではなかったような気がします。
そんな私がブログというものに出会い、
文学学校に入学し、
「書く」という世界に入った途端、
「あなたはどう思うの?」
「あなたはどうしたいの?」
「あなたはどう考えるの?」
「あなた」
「あなた」
「あなた」と問われ、
嫌がおうにも「自分」というものに向き合っていかなくてはならない環境に放り込まれたのです。
それは今までの思考の回路を全く根底から覆すような価値観の転換でした。
「自分のために生きる」
その課題を突きつけられたのです。
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- アラカン, 人生はいつからでも華開く, 松島耒仁子