「自分の為にこれからの人生を生きたら?」
そう言われても長く自分の為に何かするということをしてこなかった私には、何をしたらいいかわからないのです。
音楽は、実は自分から選んだ進路ではありませんでした。
確かに「歌を歌うこと」は好きだったけど、それはどんな歌でも良かったのです。
まさか自分がクラシックのオペラのアリアなど歌うことになるとは夢にも思っていませんでした。
母の強い勧めで、音大進学というものを選んだに過ぎず、実は進路を決めるときに、文学部に入りたいという思いもあったのですが、「二兎を追うもの一兎を得ず」と当時、高校の担任から言われて、音大一本に進路を決めました。
今から思えば、あの時、文学部を選んでいたら、多分音楽ライターにはなっていなかったと思います。
高校生で初めて本格的に歌を習いにいきました。
それまで好きな歌は、タカラヅカ。
昔から宝塚歌劇が大好きで、その主題歌をその場で覚えて帰っては、家で歌っている。
そんな子供でした。
ですからオペラも宝塚みたいなもの、と思っていたりして、先生から与えられた曲をただ歌えればいい、と思っていました。
別にクラシックに特別興味があったわけでもなかったのです。
ですから、音大を卒業してもオペラの世界に入るという発想は私にはありませんでした。
それよりも、歌謡曲やポップス、映画音楽やミュージカルなど、様々な歌を歌って踊れるボーカルグループの仕事の方が何十倍も何百倍も楽しかったのです。
この頃に徹底的に歌い勉強した様々な楽曲のテクニックが、今の楽曲分析の知識に大いに役立っているのは否めません。
そんな歌の仕事は私の中で特別な存在で、それ以外に何か音楽でしたいことはあるのか、と言われても何もありませんでした。
子育てが少し落ち着いてきた40代。
いつも私は「音楽以外の何か自分に出来るもの」を探していました。
「音楽」以外で、自分に出来るものはないのだろうか、本当に今の音楽の仕事以外に自分に出来るものはないのか、といつも自問自答していました。
それでも何がしたいわけでもなく、友人に勧められて、下着の特約店になったり、何か国家資格を取ろうと講座に通ったりしましたが、どれも自分の心を満足させてくれるものはなかったのです。
そして、一生出来る仕事を捜していました。
いつか今の音楽の仕事が無くなった時、何か出来るものを捜していたのです。
大学に行き直そうと、センター入試を受けたこともあります。その受験の為に、中学から全教科を勉強しなおしました。深夜半、明け方まで勉強に明け暮れたこともあります。
そうやって捜してみても、自分のやりたいこと。自分の気持ちを満たしてくれるものには出会えなかったのです。
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- 人生はいつからでも華開く, 松島耒仁子